うーむ。 - 大学ってもっとすごいところだと思ってた。

大学ってもっとすごいところだと思ってた。 - http://anond.hatelabo.jp/20090103125210
このエントリを読んで前に書いたエントリを思い出した。
宮崎あおいとサーブレット - ちりもつ - http://d.hatena.ne.jp/ytRino/20081219/1229669202

Javaを理解してる人がJSPやるよ!ってんじゃないんですよ。

DBなんて触ったことないよ!

教授からすると学生は「Javaを知っている」ことになっているようだけどひよっこであることがわかってないようだ。新しい教授なのでその辺もまあしょうがないといえば・・・というかんじだ。

適当な説明を1時間づつ2回ぐらいしただけであとはひたすら作る。「わからないことはTAにでも聞いてください」ってそれ無理だから!「すべてわかりません!」ってなっちゃうから!基礎がなってないんだからそれ以前の問題だし。そりゃもちろん自分で調べますけどね。


中身空っぽな説明だったら何のために大学でやってるんだと。


で、先ほどの増田のエントリに戻ってくるわけですが、読んで「うんうん」とうなずいてしまった自分がいるわけです。
大学ってもっとすごいところだと思ってた。 - http://anond.hatelabo.jp/20090103125210

大学って、もっとこう、門外不出の秘伝を教えるところだと思っていたよ。
あらゆることが系統的に、かつ大学に行かなきゃ絶対に学べないようなのがあるんだと。
でもテキストは市販の本だしそんなことはない。
質問して教授の知を吸い取ろうとするけど専門外はただのオッサン、底が見える。
これなら本を乱読したほうがマシなんじゃないだろうか。
教授の質もバラバラだしこれなら「この人だ!」っていう人を探して
それぞれの大学に潜り込んだ方がいい(実際に四月からそうしようと思う)。
なんかこう、毎日が発見に溢れていて大学じゃなきゃ知り得ないことがたくさんあって・・・
そんな素晴らしい世界だと思っていたのに・・・。

 元記事の最後の文を見る感じ文系のようだけど理系だったらもっとうんざりしてたんじゃないかと。これは自分の中の勝手なイメージだけど文系なら結構教授の思想なりなんなりで授業にもカラーが出そうだし、"秘伝"に出会えることもあるんじゃないか。
 その点理系なんて・・・教授の個性こそあれど、という感じ。
 でもこの人は僕なんかより全然すごい。もっと上の大学に入るために浪人やったり、"「この人だ!」っていう人を探してそれぞれの大学に潜り込"むらしい。

で、そんな風に思っていたところ、トラバでいろいろ書いてあった。
Leo's Chronicle: 東大で学んだ「勉強」の意味-「教わる」から「学ぶ」へ - http://leoclock.blogspot.com/2009/01/blog-post_03.html

近年、大学院での教育に重点が置かれるようになって、東大の大学院にも、東大の学部を経ずに、他の大学からの学生が多く入ってくるようになっています。もちろん、そこらの東大生より優秀な人もいるので驚かされることもありますが、どちらかというと、カルチャーショックを感じることの方が多いです。それは、彼らに共通して、
研究や勉強は「教えてもらう」ものだ
という意識が非常に強いこと。知人の助教(こちらも東大上がり)と話していても、やはりそう感じるそうです。

実は、東大に伝わる「秘伝」は、この正反対。
研究や勉強は自ら「学ぶ」ものだ

 "自ら「学ぶ」"。まあそりゃあ当たり前だろう、とは思うのだけれど。当たり前だと思いつつも今の僕は確実にカルチャーショックを感じられてしまう側だなあ。「受身」なのと「教わる」のは別だ、と思う。

Leo's Chronicle: 東大で学んだ「勉強」の意味-「教わる」から「学ぶ」へ - http://leoclock.blogspot.com/2009/01/blog-post_03.html

僕が卒業した東京大学理学部 情報科学科なんてところは、C言語の授業がカリキュラム上に全くないにもかかわらず、C言語でプログラミングする課題が出たり、「Javaくらい自分で学んでくださいね」とか言われたり、そういうのが当たり前に要求されるので、学生の方も自分で本を買ってきて1週間で新しい言語を学んで課題を仕上げてくる、というのが日常茶飯事になっています。

それに、僕の専門はデータベースなのですが、それに関連した講義は、在学中にたったの1コマ、さわり程度の授業しかありませんでした。DBのことは本当に論文と教科書だけで学んでいます。データベースの学科があって懇切丁寧なカリキュラムがある大学がうらやましくて仕方がないです。

 東大怖すぎだろ・・・。今のJSPの課題の比じゃないと思うんですけど。もちろんこの文面だけじゃその課題が難しかったのかはわからないけど(もしかしたらHelloWorldだったかもしれないし)、ここはあえて難しめに想定しておいて、「僕には無理です」。

 でもこれで"自分で"勉強していって、このエントリに書いてあるとおり、
Leo's Chronicle: 東大で学んだ「勉強」の意味-「教わる」から「学ぶ」へ - http://leoclock.blogspot.com/2009/01/blog-post_03.html

大学時代の研究室の教授に、
「私は私の研究をします。みなさんも、自分で好きな研究をしてくださいね」
と、まったく教授から研究指導を受けなかったにもかかわらず、その研究室にいたメンバーのほとんどが、いまや旧帝大の教授にまでなっている、という実話もあります。

 こんな風に、「好きな研究を」なんていわれれば嬉しいだろう。
 でも、またネガティブなことを言うと無理だと思う。こういう教授がいればいいけど、ただの教授の手伝いみたいなものだったり、そもそもいままで頑張って学んできたにもかかわらず大学というシステムの都合で研究室の配属人数に制限をかけられる。
 独学という意味なら大学に行く必要はないし、"自分で学ぶ"、そのための環境が大学、というなら行きたくもない研究室で卒研するのは極端に言えば時間の無駄だろう。

なんかますます分からなくなってきた。自分でも整理がつかないです。ゴメンナサイorz
とりあえず受身になっているつもりはなかったけど東大からすればまだまだらしい、ということはわかった。