タイトルが思いつかない。
グループディスカッションやらなんやらで他人の意見とか聞いてると、自分のボキャ貧(死語?)具合やらネガティブさと、筋の通った意見というものを持てない表現能力0の駄目人間だなあというのを痛感する。
 熊本日日新聞今年1月1日*1の記事に載っていた、ハンディをもった9歳の子の記事を読んだ。
2歳のとき以来寝たきりの状態になり、声も出せなくなった。
07年からパソコンを使った装置を使い、わずかに動く左手で自分の言葉を伝えている。1文字に1分かかることもあるとか。

 記事にはその子の書いた文章も載っていて、それは両親への感謝と愛というのがストレートに伝わってくるような文章だったと思う。
2歳で知的障害を負い、9歳の今もずっとしゃべれない子がこんなに言葉を使えるのかと感心した。
 しかし、いざディスカッションとなるとうまくまとまらない。「いい話でした」なんてアホな事言えるわけもなく、「愛が云々」とか「希望を持つ大切さが云々」なんてどこか偽善的に感じてしまうし、仮に「本心だ」としても自分には臭すぎるというか、みたいなことを考えちゃったりするともうどうにもならない。周りで堂々と正論みたいなことを言っている人がいるとなんとなく冷めた目で見てしまったりして。「嘘くせーなー」とか。
 この記事に関してみれば結局ハンディがある人をどこか下にみている部分があるから「すごいね」なんて軽々と思ってしまうわけで。
その場にいたある人(別の大学の先輩で結構尊敬してる)が言っていた、「ある車椅子バスケの漫画*2に鳥からみたら100m9秒で走っても普通の人と変わらないように普通の人から見たら分からなくても車椅子にも9秒の世界がある、というのがあってこの記事の子もそれを目指しているのでは。」ってのを聞いて「知的障害があるのにこんなに言葉が使えてしかもこんなに文章がかけて」なんていう話は所詮外からの勝手に決め付けていた価値観でしかないんだと思った。それはいいんだけどそうすると余計自分の意見ってのが分からなくなる。「ちょっとした記事だからこれだけじゃ何にもわからないよね」とか「所詮蚊帳の外から悠長に語ってるだけじゃね」と思考停止モードに入ってしまう。
 そしてまた別の人(同い年で僕とは対照的なタイプ。)が「個人それぞれの感じ方があって良いし自分の中でどう受け止めるかが問題」という意見。


僕はこれ以上考えるのをやめようと思った。
忘れる前に無理やりエントリに起こしておしまい*3

*1:たぶん。コピーだったのでよくわからない。

*2:タイトルは知らない。聞きそびれた。

*3:まさに駄目人間ぶりが見て取れる。